近江八幡ライオンズクラブは、1969年(昭和44年)韓国の、大邱(テグ)中央ライオンズクラブさんと姉妹提携しました。 きっかけは、戦前、小学校で、大変素直で、勉強もよくできた少年が、近江八幡の町に住んでいました。しかし、彼の家はとても貧しく、そして両親は、韓国の人でした。とても、上の学校に行ける状況でなかったのです。しかし、彼の親友たちが、それぞれ家で、なんとか彼と一緒に上の学校へいきたいと、親たちに一生懸命にお願いをしました。そこで、親達は、この少年が、子供達が言うように、正直で、礼儀正しい子供であることに気づきました。親達は相談して、彼に学費援助を決め、暖かく励ましてあげたそうです。 やがて、大阪の専門学校も無事卒業して、会社に勤めながら、技術を身につけて、両親と共に故郷の大邱に帰りました。それから、十五年余りした、1967年(昭和42年)頃、以前の親友であった、江南 洋さんに、韓国大邱から手紙が届きました。親友の李仙石君からでした。内容は、『自分は、現在、ちいさいながらも、町工場を経営しています。ここまで、成功をおさめる事が出来たのも、以前、温かい援助を頂いた、近江八幡の皆様方のお陰と、心から感謝しています。お陰様で、ライオンズクラブという奉仕団体にも入会させていただいております。日本にも、ライオンズクラブがあると聞いております。近江八幡には、ありますか?』との事でした。当時、近江八幡ライオンズクラブも、結成7~8年目で、L.江南洋L.山本昇L.山本傳一はじめ、当時の親友たちも、沢山チャーターメンバーとして活躍をしており、なんとか彼との友情の継続の為にも、韓国大邱中央ライオンズクラブを訪問し、互いのクラブを理解してみようとなりました。そして、1969年に、互いのクラブ発展とメンバー同士の友情の末永い継続を誓い、姉妹提携を致しました。当時は、日本から韓国への訪問は、容易に行くことが出来ましたが、大邱中央ライオンズクラブのメンバーさんの、日本訪問の出国の許可は大変難しく、我々から、韓国政府宛て招請状を送り許可を得た後、日本行きの飛行機のチケットも、手紙に同封して、訪問を受け入れておりました。両クラブの、継続が危ぶまれた時期も、一度や二度ではなかったはず。 しかし、両クラブの先輩ライオンの友情の絆と信頼は、歳月を重ねるたび、強くなりました。 両クラブとも、当時のメンバーさんは、少なくなられましたが、若い世代のメンバーも、語り継がれて来た話に感銘と崇高なるライオンズ精神を受け継ぐ為、今も、厚い友情と交流を続けております。 今年は、姉妹提携45周年と、大邱中央ライオンズクラブCN47周年を記念して、我々近江八幡ライオンズクラブのメンバー9名が、お祝いに参加いたしました。

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