クラブ活動ブログ
Club Activities Blog
奈良セントラルライオンズクラブ
中国人研修生の受入を通じ日中友好へ貢献
尾崎 峻
2011-08-25

■仕事一筋の35年間

30歳の時に行政書士兼土地家屋調査士事務所を立ち上げてから,早いものでもうすぐ35年を迎える。今振り返ってみると,無我夢中で仕事一筋に働いた35年だった。普通のサラリーマンならば,定年後は悠々自適の生活が待っているかもしれないが,私のような定年のない職種は,自分で将来を決めなければならない。

還暦を2年後に控えた頃,それまで真面目に働いてきた自分へのご褒美として,大好きな中国の為に何かできないかと思い,若い中国人研修生を受け入れ,組合員に送り出す事業を主な目的とした事業協同組合を立ち上げた。ここでは,私と中国との出会いと,事業協同組合立ち上げの経緯をご紹介したいと思う。

■鮮烈だった中国語との出会い

私と中国との出会いは,名古屋での大学時代,下宿近くの鶴舞公園で開催されていた中国展だった。その時に生まれて初めて中国人に出会い,中国語を耳にした。初めて聞いた中国語は,五線紙に書かれた曲を奏でているように聞こえ,深い感動を覚えたことを今でも記憶している。

しかし,その頃の中国は文化大革命の最中だったこともあり,日本からは中国国内の情報がまったくわからない状況だったため,その後は関心も薄れてしまい,知らず知らずのうちに中国のことを忘れ去ってしまっていた。だが,それから20数年後,私がライオンズクラブに入会してから,ふたたび中国語に触れることになったのである。

奈良西ライオンズクラブの姉妹クラブである台湾台北建国ライオンズクラブが,チャーターナイトの記念行事に参加するため来日した時のことだった。会場で久しぶりに聞いた中国語の旋律は,学生時代のあの時の感動を怒濤のように呼び起こさせた。この出会いがきっかけとなって,台北の友好クラブの表敬訪問に参加するようになり,それと同時に40歳を過ぎて中国語の習得に励むようになったのである。

■視察団の一員として中国へ

上述のとおり,台北の友好クラブとの縁もあって台湾のことは詳しくなったが,中国のことはそれまで詳しくはなかった。しかし,これもまた,あるきっかけにより,中国のことを深く知るようになるのである。当時の元奈良市長が,後援会の会員であった私が中国語を熱心に勉強しているということを知り,奈良市の姉妹都市である西安への視察団の一員として誘ってくれたのだ。

余談であるが,その時,気軽に引き受けたのは良かったが,視察団8名の主なメンバーが,元建設大臣,元環境庁長官,大学理事長などの錚々たる顔ぶれで構成されている事がわかり,視察中は緊張のし通しだった。

西安市長からの依頼を受けた奈良市視察団の目的は,長年,井戸水だけに頼っていた西安市の水があと数年で枯れる恐れがある為,西安市内から約80キロ離れた川から水を引く費用を日本政府からの円借款として借り受ける為の現地視察にあった。視察の甲斐あって,帰国後,日本政府から西安市へ65億円の借款が決定し,数年後には西安市の水不足問題は解消した。

中国には「井戸を掘った人の恩を永遠に忘れない」ということわざがある。当時の元奈良市長が逝去されてからも,友好の為にたびたび西安市を訪問するようになったのだが,その都度,私まで丁重に接待をされるようになった。そんなご縁もあって,冒頭に述べた中国人研修生の受け入れ事業を始めることになったのである。

■事業協同組合の立ち上げ

ある時,西安市政府から奈良市へ,中国人研修生の受け入れを要望された。その頃は,還暦後の自分の生活設計を決めかねていたのだが,日本と中国の友好のためならばと,思いきって行政書士兼土地家屋調査士事務所を縮小して,平成16年10月に,中国に友好的な企業の社長を誘い,事業協同組合を立ち上げたのである。事業協同組合というと聞こえは良いかもしれないが,仕事はまったくのボランティアなので収入は望めない。家内の大反対を押し切るのには一苦労があったものである。

話がやや逸れたが,受け入れを開始した1年目の研修生は,西安市からの6名のみであった。その6名の研修先の企業から受け取る会費だけでは,組合職員2名の給料が捻出できなかったため,元来の借入金に加え,理事長は無給と,大変苦しい船出であった。

 しかし,あれから6年が経ち,奈良市のみだった研修生の受け入れ先は,今は近畿一円に送り出す事ができるようになった。さらに,山東省,遼寧省,江蘇省から70名の研修生を受け入れるようにまで規模を拡大した。

この事業には,双方にメリットがある。研修生には,安定した手当と,先進国である日本での日本語習得および技術の修得機会の提供が挙げられる。研修生を受け入れる日本の企業は,若年層を受け入れる事による社内の活性化と,比較的低賃金での労働力の確保などが挙げられよう。特に,今の日本の若者はきつい仕事を敬遠しがちであるので,厳しい仕事と残業を喜んでやってくれる研修生を重宝していただいている。



■日中両国のさらなる友好へ向けて

私が今もっとも嬉しく感じるのは,1ヶ月に数回,研修先への訪問指導へ行って研修生のいきいきとした笑顔に出会えること,そして来日を希望する中国人の若者を面接するため度々中国を訪問できることである。日本とはまったく異なる環境に身を置くことにより,心身ともにリフレッシュし,英気を養うことができる。また,中国人にふれあい,街角の人ごみにまみれ,雑踏の中の静けさを味わうことにたまらない幸せを感じている。

私は,これからの限られた10数年間を身体の動くかぎり,研修生受け入れ事業を通じて国際的な人材育成と日中両国間のさらなる友好と親善に貢献したいと思っている。

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